冷たい牛乳にココア

を溶かそうとおもったのだけれど、想像以上に溶けきってくれなくてびっくりした。粉末が牛乳の上で山を作ってしまい、混ぜても混ぜても溶けない。飲んでみると、かろうじて牛乳に溶けたと思われたココアもざらっとしていた。

受け入れる側の状態はとても大切で、牛乳は温めなければいけないだろう、ごみ箱は袋をかえないとあふれてしまうし、お腹は空かせておいた方がご飯が美味しく感じられる。

心にも同じことが言える、というのは飛躍だろうか。どれだけ優しくされても、心に余裕がなければ皮肉にしかとれない。いつだって求めているはずの共感も、時に鬱陶しい同情にしか感じられないのは 切羽詰まっているから。受けとる側でそれ相応の余裕がないと、相手の行為(好意?)を素直に受け止められないのだ。

そういうとき、与える側も相手に配慮できたら良い、とおもう。受け手の心の状態を確認して、まずは新たなことがらを受け入れられるだけの余裕を作ってあげる。不満とか疲労が溜まっていると、優しさや気遣いなどの入る余地がないからだ。話を聞いたり、疲れているなら休ませてあげたり。

そうして心のなかにスペースが出来てから、相手のための提案だったり、こちらの思いを伝える。自分ならこういうことが手伝えるよ、とても心配しているから、何かあったらすぐに言ってね、といった具合に。

机の引き出しなどはスペースの有る無しが目に見えるからごく当たり前にものを出して新たにものを入れている。しかし心のほうは目には見えないから、こうした基本的なところをとばしがちである。今一度、受け手の心のスペースに目を向けて対話をしなければなあと、牛乳に溶けきれず残ったココアの粉末にむせながら思った。