あああああ

と、同じ文字が並ぶのは私が同じキーを何度も押したからだけれど、それがすごく恐いとおもう。
最初の あ は愛をこめて押したかもしれないし、4番目の あ は憎しみが刻み込まれているかもしれない。でも、そんなことは画面に映りこむことなく全く同じ様子で彼らはそこにいるし、画面の向こうで彼らを見た人は あああああ に込められた愛とか憎しみなどに気付くはずもない。

おいしい 暑かった すき 死ね そうなんだー すごいね!

単語になってもそれは同じで、打ちこんだ文字に自分の正確な想いを乗せて誰かに寸分の狂いもなく伝えることなどできない。そこには文字の羅列しかなくて、伝わるのはその文字と、それを誰かが表示させるようなことをした ということだけだ。笑顔で打った「元気だよ」も、泣きながら打った「元気だよ」も、元気だよ以外の何物にもなれない。「文字しかない」というシチュエーションが、気軽でもあり残酷でもある。目の前の文字の羅列は、嘘なのか、真実なのか。

「文字しかない」状況は、ここ十数年で確実に私たちの生活の中で増えている。増え続ける「文字しかない」状況に、わたしたちのこころは追い付いているのだろうか。