出会いの数だけ、人は変わるというけれど

変わるというよりは「知らなかった自分に気づく」の方がしっくりくるなぁと最近よく思う。

今一度、自分の体を自分の目で見てみてほしい。体をどう捻っても見えない部分や、見えづらい箇所があると思う。

そういうとき、私たちは鏡を使ってみたり身近な人に代わりに見てもらったりする。すると、鏡越しであったり聞いた話であったりしても、ある程度は見えなかった場所の状態を把握することができる。背中のあざ、うなじのほくろ、頭のてっぺんの日焼け具合。

こんなところがあんな風になっているのか、というちょっとした発見が、外部からもたらされ自身をかたちづくる要素のひとつに加えられる。知らなかった自分の一部分を発見するということは、自身の変化というよりは「気づき」に近い。

そしてこの「気づき」のプロセスは、背中のあざにとどまらず、自身の性格や言動においても全く同じことが言えるのではないだろうか。

多くの人やものごとと出会うことにより「気づき」の回数は増え、見えなかった自身の一部を次々と認識してゆき、その瞬間あたかも自身が変容を遂げたかのような錯覚に陥る。しかしそれは元来自身の持ち合わせていた姿であり、極端に言うのであれば「覚醒」なのかもしれない。自分にはまだまだ未知なる領域が残されていて、開拓の余地がある。なかなかわくわくする話ではないか。


四月という環境の変化や新たな出会いの多い時期。不安や恐れも多いだろうが、こうした「気づき」を生む絶好の機会でもある。様々なものにふれ、自身の新たな側面の発見・開拓を楽しみながら日々を過ごしてゆきたい。